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第3回動態論的メディア研究会

「方法としてのトランスアジア:いかにして<アジア>をひらくのか?

〜『トランスナショナル・ジャパン:ポピュラー文化がアジアをひらく』岩波現代文庫復刊トークイベント」

日時:10月16日(日)15:00-18:00
場所:MEDIA SHOP

スピーカー:岩渕功一(モナシュ大学)

ディスカッサント:大山真司(立命館大学)    
モデレーター:北野圭介(立命館大学)
司会:北村順生(立命館大学)​

出席者:25名(登壇者含む)

 2016年10月16日、MEDIA SHOPにて、第3回動態論的メディア研究会「方法としてのトランスアジア:いかにして<アジア>をひらくのか」が開催された。岩渕功一氏の著書『トランスナショナル・ジャパン――アジアをつなぐポピュラー文化』(岩波書店、2001年)の復刊(『トランスナショナル・ジャパン――ポピュラー文化がアジアをひらく』に改題)に合わせ開催された本研究会では、長年にわたり広く参照されている本書がもつ射程を、原書の出版から15年が経過したいま改めて捉えなおすと同時に、そこで提示された「方法論としてのトランスアジア」がもつ可能性を探求すべく、活発な議論が展開された。

 会はまず、モデレーターである北野圭介氏によるイントロダクションにはじまった。北野氏は『トランスナショナル・ジャパン』の内容を概説するなかで、本書がインターネットやデジタルメディアが普及する以前の1990年代に執筆されたことに言及した。氏によれば、90年代は、冷戦の終結以降ナショナルという枠組みが崩れはじめ、「リージョナル」そして「トランスナショナル」というふたつの枠組みが注目を集めだした時代であるという。前者が政治経済(とりわけ安全保障関連)、後者が文化研究ないしはメディア研究という異なる分野においてほぼ同時期に出現したことは、それらが互いに批判的な距離をもっていたということを意味するのか。あるいはそもそもいかなる記述用語であるのか。こうした問いもまた、90年代に執筆された本書において見据えられていたことを北野氏は強調した。

 続く大山真司氏は、岩渕氏の著作が与えたインパクトを示しながら、本書は単に英米圏の理論をアジアに適用したケーススタディにとどまるものではなく、それらを内破するような発見や分析を導くこと、つまり「方法論としてのトランスアジア」でもってアジアをひらくことを試みていると概評した。そして、近年、主流のメディアやインターネット上で、ある種のナショナリズムが跋扈する一方、インターネットの登場に代表される、メディア環境の変化によって日本とアジアとのつながりが深化しているという、一見したところ矛盾するような状況をいかに捉えられるのかという問題提起がなされた。また、テレビというメディアが帯びるナショナルな特性を、そうした状況のなかで改めて理解する必要があることを主張した。さらに、北野氏によるイントロダクションでも紹介がなされたニューカルチュラルスタディーズの動向にふれ、岩渕氏の著作では、意味や言語には回収することのできない曖昧な感覚的刺激(sensation)に迫ろうとした結果、「匂い」や「文化的無臭性」といった概念が産みだされたのではないかと指摘した。

 そして岩渕氏は、本書が執筆された経緯を振りかえりながら、北野氏と大山氏のコメントに対し応答し、その後、本研究会のテーマに即した複数の論点を提出した。氏の提出した論点は、文化の流出入における不均衡、政府間のパブリックディプロマシー競争、国内における人種や文化の多様性など多岐にわたるため、ここでそれらをすべて挙げることはできないが、大まかに以下の二点に集約することができる。まず一点目は、アジアとのポピュラー文化を媒介としたつながりが後景化している現在にあって、いかに日本の文脈のなかでアジアをひらいていくことができるかということである。この数年のあいだに進行した、日本における再ナショナル化の動きは、アジアとのつながりを見えがたくしている。しかし、大山氏も述べたように、それはいまも確かに存在しているし、以前より強まっているとさえいえる。ゆえに、こうした乖離をいかに接続していくかが課題となる。そして二点目は、知の生産にとどまらない「方法論としてのトランスアジア」をいかに打ちたてていくかである。知の生産という点において岩渕氏が提唱するのは、アジアにおける似て非なる経験――非西洋の近代経験――間の相互参照である。これをより展開させることで、西洋との比較では到達しえない、あらたな議論や概念がうまれることが期待されるという。さらに、岩渕氏が強調したように、「トランス(trans-)」には「いまここにない場所・状態へ」という意味合いが含まれている。したがって「方法論としてのトランスアジア」が目指すのは、アカデミックな水準で享受される知的な成果の産出だけではなく、「一般の」ひとびとや産業との多様な連携や協力でもある。これをいかなるかたちで実現させていくかについて検討することが必要とされると氏は主張した。

 その後の討議では、岩渕氏が提出した論点にくわえ、出席者のアクチュアルな経験やSNSを通じたある女性モデルの受容などをめぐり、北村順生氏による司会のもと、登壇者3名とフロアのあいだで、質疑応答と議論が交わされた。積極的にフロアに意見を求める岩渕氏の姿勢はもとより、自由な語らいが推奨される動態論的メディア研究会という場が、このことに寄与したと思われる。本研究会でなされた議論はいずれも、容易に決着がつくようなものでもなければ、あるいは決着がつくことなどないのかもしれない。しかし、そこで行われた対話が「方法論としてのトランスアジア」の一歩を進めたことは間違いないであろう。(文責:大﨑智史)

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