動態論的メディア研究会
本研究会は、メディアという言葉によって観察されうる、この世界にたちあらわれるさまざまな事象について学術的にアプローチしようとする集合体として位置づけておくことができるものです。特定の専門分野の観点にかたくなに立脚しようとする姿勢ではなく、多くの分野を交差させることに知の愉しみを見いだそうとする姿勢をもつ研究会でありたいと考えています。
どうして、メディアなのか。
いうまでもなく、日本という国の豊かなメディア文化を改めて強く意識し、学術的知の領域においても、その豊かさに対する厚みのある理解をすすめていくことに大きな関心があること、そのことは言明しておかなくてはなりません。日本は、映画(アニメーション含む)はいうまでもなく、漫画、テレビ・ゲーム、またメディアアートなど、近代/ポスト近代におけるメディア技術に関わる表現実践の領域において、世界中の多くの地にその魅力を訴求させてきた希有な実績をもつ国でありつづけていることはまちがいありません。それらメディア上の表現実践にときに寄り添い、ときに衝突し、ときに介入していた批評実践もまた、近代日本における豊穣な知の系譜をかたちつくってきたことも確かでしょう。
そうした、メディアに関わる表現文化を、他の国々の研究者と実りある応答ができるくらいに研究してみたいという欲望があることを隠す必要などどこにもありません。
他方、急いで付け加えておかなくてはならないのは、21世紀に入りはやくも15年を越える月日を迎えようとしていますが、デジタル技術の爆発的な拡大と、グローバル化の容赦ない展開が、わたしたちの生活、文化、思考すべてにわたる看過できない変容をもたらしています。そうした変容は、学術研究においてもしっかりと観察し、その変容がどのようなものであるのかを正確に測定しておかねばなりません。
そうした必要性を敏感に感じる知性が、今日、いろいろな分野で生まれていることは疑いえないですが、興味深いことに、その少なくない部分の人々が意図的かそうでないかにかかわらず、「メディア」という言葉に言及しています。政治学から、経済学、脳科学から、生物学にいたるまで、従来、メディアとは直接向き合ってこなかった分野にまでそれは及んでいます。また、デジタル技術の発展とグローバル化の進展の中「人間」なる概念の根本的な捉え返しを迫る「ポストヒューマン」という語の席巻にも、「メディア」という語がつきそっていることが少なくありませんし、もっといえば、「ポスト・メディア」という語が図らずも示しているのは、メディアがいかに世界の奥深くまで浸透し広がってきたかという事態の深度にほかならないといえます。今日、メディアをめぐる事象は、すぐれて絶えざる変容にさらされ、ダイナミズムのただ中を滑走するものとなっているといってもいいでしょう。「動態論的」という語がふされているのは、そのことに自覚的であろうという強い意志のためです。
このことを鑑みるとき、メディア―そして、メディアに関わる表現文化―をめぐる言葉はいまや、決然とヴァージョンアップされることが求められているのではないでしょうか。
じっさいのところ、21世紀に入り、欧米諸国、いや、アジア諸国においても、メディアをめぐる学術的な取り組みは、まったく新しい問題関心、道具立てのもとに、エネルギッシュに活発化しているところがあります。認知科学や脳科学、生物学や動物学、さらには、新しい唯物論や思弁的実在論といった哲学思潮、そして、イメージ人類学や新しい人類学などを巻き込んで多様な展開をはじめています。そういったなかで、メディア生態論や新しいカルチュラルスタディーズなどが立ち現れつつあることもよく知られているとおりです。
こうした動きと連動する、日本における多様な取り組みが一定程度生まれつつあります。ではあるものの、異なる分野で異なる研究者が個別にリサーチをおこない、動向を紹介している状況にとどまっている部分が少なからずあります。近年、関西地域に、さまざまな分野で、メディアをめぐる問いに新しい角度からアプローチする研究者がたくさん集まりつつあることをふまえ、領域横断的に話題、情報、関心を交換しうる場を整えていく大切さを考え、本研究会は発足されることとなりました。
北村順生
北野圭介